田中正造と足尾銅山「公正公平な態度」

小6娘の市民科授業のプリントより。
今の原発問題然り、いつの時代でも権力者って、たわけが多いな。


<1877年(明治10年)廃山同様となっていた栃木県の足尾銅山が民間企業に買収されると最新の技術によって再開発を再開。その結果、足尾銅山は国内最大の銅を生み出す銅山へと成長していった。ここで採掘された銅は海外へ輸出され、日本に膨大な利益をもたらした。丸裸になった土地は雨が降るたびに周辺の土砂を渡良瀬川へと流し込む。土砂は洪水となって村へ襲いかかる。土砂には鉱石のカスから出る銅の毒が含まれていた>


【村人の言葉】
「移住したら今まで耕してきた田畑はどうなる。先祖代々のお墓はどうなる」
足尾銅山の鉱業を辞めれば良い。この土地にずっと住んできた我々が出るのはおかしい」


田中正造の言葉】
足尾銅山から流れ出る鉱毒が周辺の住民の田畑を侵し彼らの生活にまで被害を及ぼしていることは間違いない。政府は即刻足尾銅山の操業をやめさせ周辺住民を救済する策をうつべきであります」


【政府の回答】
足尾銅山は輸出用の大量の銅を生み出している。操業を停止するわけにはいかない」


<政府に対して田中正造は最終手段に出ました。天皇に直訴したのです。直訴とは天皇に直接訴えることです。当時、直訴は死刑でした。それでも田中正造は村人のために直訴しました。ところが足尾銅山の問題が世間に知れ渡る事を恐れた政府は事件をもみ消します。しかし、それでも噂は広まり、政府は世間の声を無視出来なくなります>


【政府の回答】
渡良瀬川の洪水を防ぐ為に堤防をつくります」


【村人の言葉】
「鉱業をやめろと言ってきたのであり、目先の防止工事をしろと言ってきたわけではない」
「川がきれいになるまではと我慢してきたのに村から出て行けという事に納得がいかない」
「出て行くのは我々ではない」


【政府の回答】
日露戦争の勝利でようやく日本も列強国の仲間入りを果たした。この先世界の列強国と肩を並べて歩んでいく為にも鉱業の発展は不可欠だ。鉱山の操業を辞めるわけにはいかない。土地を買い取ります。移住先のお世話までします」


田中正造の言葉】
「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず、村を破らず、人をころさざるべし、戦争に勝った、列強国になったとはしゃいでいても、人々の犠牲にあぐらをかいた国など列強国ですらない」



<村には16人が残りました。田中正造は最後まで村に残って闘い続けました。田中さんが亡くなった時に持っていたのは日記、河川調査の原稿、新約聖書大日本帝国憲法福音書、石ころ3つだけでした。あとは全部お金にかえて村の為につかいました。田中さんが亡くなったあと、村はダムの底に沈みました>